せれんでぃぷてぃ

おやすみ


 一つ、そして一つ。
 一つ一つは小さくても、積み重ねていけば山になる。
 そして何時か、その山は崩れる。
 だから私は又一つ。一つ、一つ積み上げていく。
 あの人の破滅に向かって。
 一つ、そして一つ


 なんとかその建物の門に辿り着いたモンドは、額にかかるオレンジ色の髪を掻き上げ、その門を見上げて感嘆の声を上げる。
 話には聞いていた。山の上の屋敷。険しい山の上に立っていながら、信じられないほど豪華な屋敷だと。
 豪華というのは嘘だったが、立派な屋敷には違いない。頑丈な石造りの門。石造りの塀。塀の奥に見える石造りの建物。豪華と言うより堅実な建物がそこにあった。
 モンドは恐る恐るノッカーを鳴らす。
 そして待つ。
 訪問者が気に入られなければ、三日や四日、門が開かないことはざらだという。だからそれに備え、一週間は門の前で待てるだけの装備をしてきた。
 その重装備が紫色のタキシードスーツ、魔導師協会の制服に全く似合っていないとは判っていたが仕方がない。わざわざ山の上までやってきて会えませんでしたという訳にはいかない。
 モンドが、やはりと溜息混じりに肩を落とした時
「はいよ、誰だい?」
 あっさりと、余りにもあっさりと門が開き、知った顔を見た時、モンドは言葉を失った。

 「ああ、兄貴一人しかいない時は、ノッカーの音に気がつかないことが多いんだよ」
 石造りの廊下を案内するゲンノが、後ろに続くモンドに説明する。
「気がつかない?」
「兄貴、本の虫だからさぁ。本読み出すと周りの音が聞こえなくなっちまって。ノッカーの音なんか気がつかないから、客を無視することなんか、日常茶飯事。台所で良いか?」 恐ろしく簡単に案内され、モンドは思い切り拍子抜けしていた。
 傍若無人のアルファウェイ。人を人とも思わない、我が道を行く呪術師。それがこの屋敷の主の評判だった。
「綺麗な屋敷だな」
 塵一つ落ちていない、磨き上げられた廊下と床にモンドが感心する。
「兄貴の性格。四角四面なほど几帳面なんだ」
 ゲンノが笑いながら答える。
 違う、余りに噂と違いすぎる。モンドが口に出さずに、一人苦悩する。
 噂では傍若無人のアルファウェイのはずだ。傍若無人の人間が四角四面の几帳面というのは、何かが間違っている。
「几帳面だから、自分の決めたスケジュール通りに事が進まないと、機嫌が悪くなっちまってさぁ。そんなんだから不意の客なんか、兄貴が一番嫌いなもん。もう、けんもほろろの扱いでさ。お陰でついた二つ名が傍若無人」
 モンドの苦悩を察してかゲンノが笑いながら説明する。
「美丈夫の噂違わず、綺麗な顔して滅多に笑わない。武道全般に精通していて、身体がでかいから立っているだけで怖いんだ。これが。文武両道が兄貴のモットーでさ。付き合わされるこっちは良い迷惑」
 ゲンノが笑いながら、しっかりした木のドアを開き、磨き上げられた台所へとモンドを誘う。
「今、お茶を入れるから、その辺に座っててくれ」
 ゲンノがかまどへと向かい、モンドがその後ろ姿を見つめる。
 ストレートの緑の髪を、肩の処で切りそろえているのは変わっていない。前髪を眉のラインで切りそろえているのも。大きめの緑色の瞳も、高く、けれど小振りの形のいい鼻も。小さく愛らしい唇も。細い手足も、小柄な身体も、何一つ変わっていない。
 去年から。十七年前から。十七年前、確かに愛した少年の姿。変わったのは髪型だけだ。そして、去年、初めてあった呪術者。髪型すら変わっていない。
「別に何もいらないが……」
「今、菓子作りに凝っててさ。俺や兄貴は喰わないけど、ヒコザが喰うだろう。作り甲斐があるからな」
 ゲンノがオーブンを開けながら笑う。
 呪術師。それも高名な……悪名高いというのだろうか。魔力が桁外れな呪術師は、人よりも精霊に近い存在だと、モンドが知ったのは去年のことだった。
 精霊と同化している魔導師よりも遙かに精霊に近い者。生まれる時に、生まれる場所を間違えた者。それが呪術師。
 ゲンノも、人よりも精霊に近くなってしまった後天的な……とても珍しい呪術師。
 手持ちぶさたになったモンドは、テーブルの上に置かれている本に、何気なく手を伸ばす。
 台所にある本だから料理の本かと思ったせいだが、ぺらりとページをめくると、そこに書かれていたのは、モンドが見慣れた呪文の数々だった。
 魔導師になると決め、学校に通い始めてすぐに、写本させられた懐かしい本。
 呪術師も魔導師も根本な処は同じ。だから呪文の本があってもおかしくはない。
 強いて言えば、台所にあると言うところがおかしいが、それだけ勉強熱心なのだろう、ここの主人は。
「ああ、それ。間違い探しなんだ、俺の宿題」
 オーブンからアップルパイを取り出し、切り分けながらゲンノがモンドに声を掛ける。「間違い探し?」
 モンドが聞き返す。
「そう」
 ゲンノがあっさり答え、モンドが首を傾げる。
 間違い探し。これだけの分量の呪文の中に、わざわざ間違いを仕込んでいるのだろうか それだとしたら、見付ける方も酔狂だが、作った方も更に酔狂だろう。
 「なんか不思議だな」
 ティーカップと、ケーキ皿を持ったゲンノが、自分を眺めているモンドの前に置きながらいい
「何故?」
 ひとまず本を閉じたモンドが聞き返す。
「なんて言うのかさぁ、俺ってお前さんの好きだった奴を殺しちまったようなものだろう?
 そんな俺とお前が、こうやってのどかにいるっていうの、不思議じゃあねぇか?」
 ゲンノが頭をかき、モンドが苦笑いを浮かべる。
「で、何の用?」
 椅子に座ったゲンノが話を変え
「殺してもいないのに、人を殺したと思いこめるか?」
 モンドがそう切り出す。
「んー」
 ゲンノがテーブルに肘をついて考え出す。
「まずは座ってくれ。なんか見下ろされるのも嫌だ」
 ゲンノの言葉に、モンドは素直に椅子に座る。
 椅子に座っても、ゲンノの方が小さかった。
「そう言う概念的な問題って、十七年しか生きていない俺より、三十六年生きているお前さんの方が、答えが出ないか」
 ティカップの中身をすすりながらゲンノが答える。
 魔導師の年齢は外見からは判断出来ない。魔法を使う為に精霊と同化した時点で、身体の成長、老化が止まってしまう。だから三十六年生きていても、モンドは二十代半ばにしか見えない。
「それはそうなんだが……」
 テーブルに肘をつき、モンドが苦笑いを浮かべる。
「実際問題、俺はリョウガを殺したと思っているよ」
 ゲンノにあっさり口に出され、モンドが戸惑う。
「悪かったとも思う。でも、仕方なかったって言うもある。お前さんだってそうだろう
 ゲンノに図星を指され、モンドは笑うしかできなかった。
 そうだ、あれは仕方がなかった。あの時、自分は何もすることが出来なかった。
「逃げろ、モンド」リョウガはそう言った。自分はそれに従った。もし従わなかったら……死体が二つになっただけだ。それは判っている。
「こういう問題は、本人が乗り越えるしかないんじゃあないか。誰かの死に、自分が責任を負っているって考えちまうのって」
 ゲンノも笑うしかないのだろう。ティーカップに口を当てたまま、薄く笑う。
「私の人生相談ではないんだ……」
 モンドが笑いながら、本題を切り出した。


 魔導師に牢屋というのもおかしな話だった。魔導師がその気になれば、いつでも逃げ出すことが出来来る。
 まして悪人ならば、逃げだそうとするはずだ。
 それでも鉄格子がはまった牢屋なのは、そう言う慣習なのだろう。気分の問題かも知れない。
 本当に魔導師をここにつなぎ止めているのは壁。抗魔仕様になっている。幾ら魔法を使っても、壁が全てを吸収してしまい、魔法が作用することがない。
 ああ、それで鉄格子なのか。逃げられないから鉄格子。魔法が使えない魔導師は普通の人間と変わりがないのだから。
 イチロがそんなことをうつらうつらと考える。
 魔法が使えない魔導師は、普通の人間と同じ、だから鉄格子。
 木で出来たベッドに、申し訳程度の夜具。携帯型の便器が一つ。
 今まで生きてきた場所とは、格段の差がある。
 でも……
 これが本来の姿ではないか。イチロがそんなことを考える。
(私に一番に使わし居場所)
 捨て利のイチロ。捨て利、利子のための利子。親の作った借金の為に売られた。
 そして買ったのが領主だった。だから、魔導師学校に通わせてもらい、領主付きの魔導師になることが出来たが、そうでなかったら色子か何かになっていただろう。
 実際、金貸しはイチロを女衒に売ろうとしていたのだから。
 夢だった。そう全てが夢だった。領主に買われたことも、魔導師になったことも。
 紫色の髪、紫色の瞳。紫色のタキシード。
 「捨て利のイチロではなくて、紫のイチロだな」
魔導師になった時、そうやって豪快に笑った領主はもういない。
「イチロ? 捨て利のイチロか」
 突然声を掛けられイチロが顔を上げる。
「左様でございますが、あなた様はどちら様でしょうか」
 静かな声。
「こっちは知っているだろう。徒事のモンド。それで俺はゲンノ。二つ名はまだない。見ての通り、駆け出しの魔法使いだ」
 ゲンノがモンドと自分を紹介する。
「徒事の…… お噂はお聞きしております」
 イチロが頭を下げ、モンドも頭を下げる。
 生きているか死んでいるか、多分死んでいるに違いない最愛の人を捜す為に、魔導師になり、国中を流離っている魔導師。
 だから徒事、無意味なモンド。
そして、顔を上げたイチロが困った顔をする。
 見ての通り、駆け出しの魔法使いと名乗られても、ゲンノはどう見ても旅芸人にしか見えない。
 愛くるしく、美しすぎて怖いほどの美貌。洗いざらしのトレーナーに半ズボン。ベージュのコート。背中に背負っているのは楽器だろう。年の頃は十二、三歳の女の子どこをどう見たら魔法使いに見えるのか、イチロは聞き返したかった。
 この際、ゲンノの言葉を信じて、魔法使いだとしても、魔導師ではない者が、魔導師協会の、こんな奥まではいってこられるはずもない。
「単刀直入に聞くけど、あんた、本当に前の領主を殺したのか」
 ここにいるのが信じられないゲンノが、本当に単刀直入に尋ね、尋ねられたイチロが
「はい、その通りで御座います」
 ゆっくりと頭を下げながら、キッパリと答える。
「えっと、理由は憎かったから」
「その通りで御座います」
 何度も繰り返し聞かれた質問、繰り返し答えた答。
「じゃあ、悪いけどさぁ」
 ゲンノがにこにこと鉄格子に近づき、イチロの瞳を見つめる。
 綺麗な緑色の瞳。透明でいながら、余りにも深い緑色の瞳。
「本当に、前の領主を殺したのか?」
 イチロは口を開いた。そうだと言おうとした。
 舌が動かなかった。凍り付いたように、言葉を繰り出すことが出来なかった。
 イチロは焦っていた。今まで一度もこんな事などなかった。素直に自分が殺したと口にすることが出来たのに。何故かその言葉が出なかった。
「まあ、いいや。俺が聞きたいのはそれだけだから。行くぞ」
 答えないイチロを残し、ゲンノはそれだけ言うと、きびすを返し歩き出し、モカ土はその後を追った。
 薄暗い地下牢。取り残されたイチロは、両手で口を押さえることしかできなかった。


「あのなぁ」
 ゲンノの背中にモンドが声を掛けた。
 何が起こったのかまるで判らなかった。
 単刀直入すぎる質問を繰り返しただけ。そして一度目は即答、二度目は言葉を発することすら出来なかった。
 言いよどんでいた訳ではない。言葉が出なかった。モンドでも判るほど、イチロは焦っていた。
「随分と綺麗な坊やだったな。十七、八で魔導師になって、一度も結婚せずか。何年くらい魔導師をやっているんだ?」
 モンドの問いに答えず、ゲンノが勝手に尋ねる。
「二十三年だ」
「じゃあ、あの綺麗な坊やは、今年で四十? 四十一?」
「四十二歳」
「四十二年、好きな女がいなかったと」
 階段を上がりきったゲンノが首を、左右に曲げる。
「あのなぁ」
 モンドがもう一度繰り返す。
 四十二年間、好きな女がいないと、呆れられたくはなかった。少なくともモンドは、十六年も生きているか死んでいるか判らない人物を捜し求めていたのだから。
「あれだけ綺麗な顔で、言い寄る女も男もいないっているが信じられないよな。まして二つ名は捨て利となれば、借金があったはずだろう?」
「ああ、親の借金のカタで売られたところを、前領主に買われ、その知能の高さと魔法の素質を見いだされ、生涯領主に仕えることと引き替えに、魔導師学校に入学したらしい」「どこぞの誰かのようだな」
 説明したモンドをゲンノが面白そうに見上げ、モンドが視線を外し
「私は借金のカタで売られた訳ではない」
「そりゃあまぁそうだけどな。領主の後ろ盾で魔導師学校に入学したって言うところが」 ゲンノが言い、モンドが黙り込む。
 確かに似ている。だから気にかかったのかも知れない。だから真実が知りたいと思ったのかも知れない。
「ぶっちゃけた話。お前は領主が憎いと思ったことがあるか? 魔導師学校に進学させたという恩を着せて、自分を束縛している」
「ナガト様は私を束縛はしていない」
 そう束縛されていると感じたことはなかった。モンドは一人で頷く。
 自分の軽率な行動のせいで、その当時、一人息子だったリョウガが生死不明になったというのに、そのリョウガを生涯掛けても探したいと言った自分を、まず思い留まらせようとしてくれた。
 お前の一生をそんなことに費やす訳にはいかないと。
 けれど、モンドの決意が固いことを知ると、魔導師学校に入学することを進めてくれた。
 魔導師になれば、諸国漫遊の旅は楽になる。寿命は変わらないが、身体の成長が止まる。人生のやり直しが少しでも有利になる。
「そのナガト様と、こっちのカーサの前領主って知り合いかな?」
 ゲンノがぽつりと呟く。
「ああ、領地が隣接しているからつき合いはあった。実際、今回の調査は、魔導師協会カーサ支部からの依頼と言うより、ナガト様の依頼に近いんだ」
 モンドが答え
「それで束縛されていないねぇ……」
「あのなぁ」
 モンドが声を荒げる。
「魔導師が殺人を起こしたとなれば、一般市民は不安に駆られるだろう。それもどう見ても、誰が調べても病死に見える方法だと。ナガト様もそれを危惧して早急に……」
「確か、死因は身体の中に出来た悪性の腫瘍だったよな」
 力説するモンドを完全に無視してゲンノが聞き返す。
「そうだ」
「腫瘍を成長を早めることは、魔法なら簡単だよな」
「それは……」
 モンドが言葉に詰まる。
 イチロが、捕らえられている理由はそれだった。
 腫瘍の成長を早めることは、魔法では簡単なことであり、成長した腫瘍が自然に成長したものか、魔法で成長したものかどうかは、判断が出来ない。
 だからイチロの「殺した」という言葉の真偽は、誰にも判断が出来ない事だった。
「それでも、あのナガト様は、調査しろと言った。イチロが犯人ではないと思っているって言う訳か」
 ゲンノが目の前にいるモンドを完全に無視して、ぶつぶつ呟き出す。
「カーサの前領主に憎まれる理由がないのか、それてもイチロが憎む理由がないのか。どっちにしろあのナガト様は知っているっていうことか。
いや、違う。それだったら調査ではなくて、横やりを入れるはずだ。カーサよりエードの方が数段、力が上なんだから、充分圧力が掛けられる。それをしないっていうことは心当たりがあるんだ」
 ゲンノが一人で考え納得していく。
「ただ、その心当たりが、心許ないことだから調べさせている」
 そこまで呟いて何度かゲンノが頷いた後
「ちょっくら、領主の家って言うのに行ってみようか」
 ゲンノがモンドを見上げた。


 あからさまに不機嫌な領主は、それでもゲンノ達がイチロの部屋にはいることを許してくれた。
 勿論、自分も同行して、だが。
「綺麗さっぱり片づいている、か」
 部屋に入ってのゲンノの第一声が全てを物語るように、部屋の中は、このまますぐにでも引っ越しが出来るほど片づけられていた。
「自首したんだから当たり前だけどな」
 机の上に積み上げられた本をさすりながら、ゲンノが言い、本のページをめくる。
「粗末に扱うな」
 領主の叱咤が飛ぶ。
「それは」
「全てイチロが写したものだから、か。写本だぜ。良くまぁ、これだけ写したもんだ」
 ゲンノが本の束をぽんぽんと叩き、領主の顔が引きつる。
「私も写した」
 憮然とモンドが答え、ゲンノが山の中から一冊の本を引き出す。
「本当に魔導師って言うのは律儀だよなぁ。わざわざこうやって書き写すんだから」
 ゲンノがぽんぽんと本の表紙を叩く。それは、あのアルファウェイの家の台所にあった本と同じ内容の本だった。
「お前のように、喋るのも呪文を組み立てるのも、同じという奴は珍しいんだ」
 モンドが言い返し
「そりゃあそうだ」
 ゲンノがぺらりとページをめくった後、本を山に戻す。
「ありがたい事に魔法に関して、努力という物をしたことがない。イチロは違うようだな」
「?」
「よく使うページに開き癖がついてる。暗記しているから、と言う不確かな記憶で、魔法を使わない奴だったみたいだな」
 ゲンノがむっとした顔の領主に言い、領主が頷く。
「憎んでいた」
 突然ゲンノが言い、領主が眉をひそめる。
「イチロが言っている殺人の動機だ。心当たりがあるか?」
「ない」
 キッパリ領主が答える。
「父上とイチロはとてもうまくいっていた。イチロが父上を憎む理由はない」
「本当に?」
「くどい」
「では反対は?」
「は?」
「愛していたか?」
 ゲンノが言った途端、領主が派手に口ごもる。
「ビンゴ」
 ゲンノが呟き
「いや、違う。違う。違う、違う。そんな父上とイチロが、そんな汚らわしい関係などということはない」
 領主が慌てて否定し、ゲンノとモンドが顔を見合わせる。
「その辺に原因がありそうだな。今回の件は」
 ゲンノが呟き、モンドが頷いた。


 何度目の取り調べだろう。
 抗魔仕様が施された部屋。机が一つ。椅子が二つ。魔法が使えないからランプの明かりの下。
 魔導師協会の中にありながら、魔法が一切使えない部屋。
 ただいつもと違っているのは、机の向こう、向かい合って座っているのが徒事のモンド。部屋の隅にわざわざ持ってきたらしい丸いスに座っているのが、あの不思議なゲンノ。 何故、魔法使いが魔導師協会の取調室に入れるのか不思議だった。何らかのコネでもあるのだろうか、それとも実は魔導師なのだろうか。
 イチロがそんな事を考える。
「もう一度、カーサの領主に会ってきた」
 モンドが話し出す。
「口を濁していたが、結局、教えてくれた。君と前領主が、その……肉体関係があったと言うことを」
 ああ、あの人は喋ったのだ。絶対に喋るはずはないと思ったのに。父親の恥を口に出すはずはないと思っていたのに。
「はい」
「だから、憎んでいたのか?」
「はい」
 そう憎んでいた、誰よりも。色子から救ってくれたと思っていたのに。
「同意ではなかった?」
「はい、初めは」
 魔導師になった途端の出来事だった。
 恩があるから、主人だから、他に行くところがなかったから。だから抗わなかった。
 本気で抗っていたら、こんな事にならなかったかも知れない。一度関係を持ってしまえば、あとはなし崩し的だった。抗わず、ただ流された。だから憎んでいた、誰よりも憎んでいた。流した人を、流された自分を。
「そうか」
 モンドが頷く。
 聞かないんですか、どうして抗わなかったと。イチロは不思議なものを見るようにモンドを見る。
「私の二つ名。由来は知っているな」
「はい」
 生きているか死んでいるか判らない最愛の人を捜している。
「男、なんだ」
 イチロが息を呑む。
「愛していた。私は愛していた。でも、彼が私を愛していたかどうかは判らない」
「どうして?」
「彼は心を壊していたから」
 静かに話し出したモンドをイチロは眺めてしまう。
「気性が激しい人だった。気に入らなければ、打つ蹴るは当たり前。目の前を通った犬が気に入らないと、犬を斬り殺した後、飼い主を足腰立たぬまで打ち付けるなど日常茶飯事な人だった」
 モンドが静かに話している。何故か部屋の隅のゲンノが苦笑いを浮かべている。とても不思議な光景だった。
「だから恨む人も多かったのだろう。とうとう浚われて一年に渡り陵辱され続け、見つかった時は心を壊れていた」
 心を壊すほどの陵辱。どれほどのものだろうか。
 無理矢理に身体を奪われた時、心が壊れてしまえばいいと思った。でも壊れなかった。心はそれほど強いものなのに。
「心を癒す為に、預けられた。預かったのは私達だった。でも、彼の心を癒すつもりなんてこれっぽっちもなかった。彼のせいで、私の両親は死んだようなものだったから。復讐するつもりだった。復讐していたつもり、かな」
 何故、モンドは笑えるのだろう。どうしてゲンノは笑っているのだろう。
「日ごと、夜ごと、心を壊した彼と交わったよ。心が癒えぬように。壊れたままでいるように」
 どうしてそんな話をするのだろう。
「ところが悪い事は出来ないな。彼の両親にそれがばれてしまって。私は彼を連れて逃げ出した。自分の悪事が発覚するのを恐れて。そして、逃げた先にもっと酷い奴がいた」
 言葉を切って小さな溜息。
「人殺しが三度の飯より好きという、極悪人の前に二人で飛び出してしまった。山の中、他に人もいない。人殺し達は嬉しそうだった。殺す相手を見付けたと。その時、彼が言ったんだよ『逃げろ、モンド』剣を抜いてね。逃げろと」
 下を向いたモンドは言葉に詰まっていた。
「いつから正気に戻っていたのか」
 モンドの声は湿っていた。
「まるで判らなかった。その時も気がつかなかった。ただ言われたまま、逃げ出した。正気に戻っていたんだと気がついたのは、彼が死んだと聞かされた時だった」
 だからなんだというのだろう。それが……
「もう一つ判ったことがあったんだ。私は憎んでいたんじゃあない。愛していたんだと。ただそれを認めたくなくて、憎んでいると思いこもうとしていたと」
「私は本当に憎んでいたんです」
「イチロ……」
「本当に、本当に憎んでいたんです」
 貴方のように揺らいだりしない。二十三年、ひたすらに憎んでいた。
 何時かこの憎しみを叩き付ける日が来るまで、大切に、大切に。憎しみを育ててきた。「それであの魔法を使ったのか、幸福な夢を見せる代わりに体力を奪う」
 部屋の隅から声がする。
「ええ」
「腫瘍が出来、お前の魔法で痛みを止めていた領主には効いただろうな」
「ええ」
 そう。乞われるままに痛みを止め、そして夜には力を奪う夢を送った。あの方から全てを奪う為に。地位も、財産も、たった一人の家族も、生も。
「イチロ、お前……」
「そうです、毎夜、毎夜、夢を送り続けた。あの方はそれも知らずに、最後に『済まなかった』『ありがとう』謝罪と感謝を。命を縮めたのは、命を奪ったのは私なのに」
 おかしかった。それが余りにも。おかしくておかしくて。涙が出るほどおかしくて。
「あの魔法な」
 なんだと言うんです。何、頭をかいて。こんなに面白い話だというのに。笑いもせずに。
「誰が使っても作動しないんだ」
 こんなにおかしいのに……え?
「どこで間違ったんだかわかんないんだけどな。写本に写本を続けているうちに、間違っちまったんだろうな。まぁ、誰も使おうとは思わない魔法だから、誰も気がつかなかったんだろうけど」
 え?
「いや、万が一っていうこともあるから、お前さんの本を見せてもらったけど、お前さんの本も間違った……」
「私が殺したんです、私が……病気なんかじゃあない。あの方を殺したのは私です。私があの魔法で……」
 私があの方の命を奪った。私のこの魔法で。私の、この手で。病気なんかにとられたんじゃあない、私がこの手で……
 一枚一枚薄皮を剥ぐように、いたぶりながら、私が殺した。
 こんなおかしいことなのに。涙が出るほどおかしいことなのに、何故笑わないんです、何故?


 「どこで気がついたんだ。イチロが殺したんじゃあないって」
 モンドがゲンノの背中に尋ねる。
「地下牢で答えられなかっただろう」
 振り返りもせずにゲンノが答える。
 多分、振り返る余裕がないのだろう。山道は険しかった。
「ああ」
「その時、俺は精霊に聞いたんだ。同化している」
「それが?」
「あのさ、俺の後見人を知っているだろうが。魔導師に同化している精霊なんて、鼻息一つで消滅させちまうような奴だぞ。そんな奴が後ろに構えてる奴にだ、並の精霊が嘘なんて付けないだろうが」
「あー」
「殺しちゃあいない、でも殺そうとした。だから答えられなかったんだ」
 そこまで喋ってゲンノが立ち止まる。
 後をついていたモンドも必然的に立ち止まる。
「疲れたのか?」
「いや、大丈夫だけど、喋るのと登るの同時は無理だ。聞きたいことがあるんなら、ここで聞いてくれ」
 ゲンノが言いながら、道端の石に座り込む。
「それで、本を調べに行ったのか」
「確認とりたかったからな」
 ゲンノが顎に手を当てる。
「すぐに判ったな」
「開き癖がついてたのと、あのシリーズだったら、どの呪文が間違っているかは知ってるからな」
「一寸待て。他にも間違っているのがあるのか」
 モンドが焦る。
「そりゃああるさ。三百年近く、何人もの人間が写してるんだぜ。間違いが一カ所の方が恐ろしい」
 ゲンノが肩を竦める。
「そりゃあそうだが……」
 間違っている物を写した自分の努力はなんだったのか。考えると空しくなっていく。
「滅多に使わない呪文とか、魔導師じゃあ到底使えない魔法とか。そう言うのしか間違っていないから大丈夫」
 空しくなっていくモンドにゲンノが一応声を掛ける。
「それにしても……
そう言えば、なんでお前は間違っているのを知っているんだ?」
「兄貴が本の虫だっていっただろうが。原著と照らし合わせて、間違えを見付けちゃあチェック入れてるよ。時々ヒットな間違いがあるらしくて、そう言う時は魔導師協会に訂正を申し出るみたいだけどな」
 ゲンノが答え、モンドがまた溜息をつく。
 そう言えば、ゲンノは間違い探しが宿題だと言っていた。その時はわざわざ間違いを作っているのかと思ったが、初めから間違っているところをチェックしていただけだったのだ。
 そして沈黙。山肌を撫でる風の音だけが響く。
「質問がないんなら、そろそろ行くか」
「イチロは……」
 腰を上げようとしたゲンノをモンドが止める。
「イチロは戻ってくるのか?」
「さぁ、それは」
 ゲンノがモンドから視線を外し、山肌を見つめる。
「誰かの死に責任を負っているって思ってしまうのは、人間なら当たり前だろう。俺とお前がリョウガの死に負い目を持っているのと同じように、イチロは領主の死に負い目を持っている。それを乗り越えられるか、乗り越えられないかは本人次第」
 緑の髪が風に揺れる。リョウガとは違う、リョウガはあの時、死んでしまった。ここにいるのは、全く同じ姿をしたゲンノだ。
「何時かは」
 何時かは乗り越えられるのだろうか。自分も、ゲンノも。
「何時か、なんて不確実を信じたがるのも、悩み多き人間の証拠だけどな」
 ゲンノが立ち上がり、腰のホコリを叩くと歩き出す。
「不確実でも滞っているよりは良いだろう。少しでも前に出たほうがさ」
 後をついてくるモンドにゲンノが言う。
 滞ってしまったイチロ。何時かは、前に出られる日が来るのだろうか。
「人のことより自分の心配した方が良いんじゃあないか。徒事って言う二つ名が付くほど滞ってるんだから」
 ゲンノがモンドを構う。
「悪かったな」
 モンドか言い返す。
 今は滞っていない。と、言ったら嘘になる。立ち止まって振り返りたくなる。あの時に戻りたくなる。
 でも……
「絶対、滞らない奴が来たぜ」
 ゲンノが笑い、モンドが顔を上げる。
 青い髪をたなびかせ、転げ落ちるように山を駆け下りてくる少年が見える。
「今回連れて行かなかったから怒ってるな、あいつ」
 ゲンノが笑いながら手を振っている。
 滞るのも、乗り越えるのも、不確実を信じるのも、悩むのも人間なら。
 何時かは乗り越えられるだろう。笑えない思い出かも知れない。でも乗り越えた思い出にすることは出来る。
 モンドも、両手を振りながら駆け下りてくる少年に片手を振って見せた。