せれんでぃぷてぃ


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砂上の楼閣


 輝く水面に映りし
 緑なす大地
 青き水面に映りし
 黄金の実り
 奇跡の都と人は呼ぶ
 枯れ地の中の 理想郷
 荒れ地の中の 桃源郷
 幾重もの砂塵の向こうにあると言う
 幾重もの砂山の向こうにあるという
 約束の地 ククリ
 幻の地 ククリ


 うーん、ゲンノは無性に不機嫌。ぼくが見ても判るほど不機嫌。まぁ、ゲンノの場合、不機嫌な時は、誰が見ても不機嫌なんだけど。とっても不機嫌。
「畜生!」
 壁を蹴っている。ゲンノが蹴ったぐらいで、どうにかなる壁じゃあないけど。っていうか、ゲンノの足の方が心配だけど。
 あ、やっぱり痛かったみたい。黙り込んでしまった。下を向いている。
 あー、今度は拳で壁をぶっている。なんか凄く不機嫌だな、これは。
 なんかぶつぶつ言っている。
「確かに、親父の仕事を受け継いだよ。受け継いだけどなぁ。この件に関しては、契約を結んでいるのは、姐(あね)さんだぞ」
 そうか。仕事の事で不機嫌になっているんだ。
 鮮やかな緑の髪を前は眉のところ、後ろは肩に掛かる程度に切りそろえた(おかっぱっていうんだって)ゲンノは、切れ長の吸い込まれそうな綺麗な緑の瞳。透き通る様な白い肌。華奢な身体に細い手足。大陸上げての美人コンテスト、少女の部で優勝間違いなし。と、言う美貌の持ち主だけど、実は呪術師。実は男。実は十七歳。
 だから仕事の事っていうことは、呪術師ではなければならない仕事な訳で。それも契約が絡んでいるらしい。
 と、言うのは判るんだけど、呪術師でなければならない仕事っていうことは、精霊に関する仕事な訳で。精霊に関する仕事で、契約が絡んでいて、姐(あね)さんが出てくる……
 一体、何なんだろう。
「なんで俺が出っ張らなきゃあならないんだ。こういうのは、契約を結んだ本人が出っ張るもんだぞ、常識的に考えて」
「だったら、あねさんにそういったら?」
 あ、ぼくが口を挟んだ途端、ゲンノの動きが止まる。ゆっくりと振り返る。
「言えるかぁ」
 ……そんなに怒らなくても良いじゃあないか。
「だって、おねえさんなんでしょう。おねがいしてみたら?」
「お前は、姐(あね)さんの恐ろしさを知らないから、そんなことが言えるんだ!」
「おそろしさって?」
「姐(あね)さんはなぁ……」
 ……、なんというのか、なんとなく姐(あね)さんのすごさが判ったような気がする。
 だって、思い出そうとしたゲンノの顔色が、みるみるうちに血の気が失せて、ゲンノの小さな身体がぶるぶると震えだして。
 思い出しただけで、こんなに怖い人って、凄いかも知れない。
「姐(あね)さんはなぁ……」
 あーあ、ゲンノ涙声。
「なんとなく、わかったからいい」
 ぼくが慌てて言い、ゲンノが大きな溜息をつく。
「まぁ、逆らえない訳だ」
 首を何度か振ったゲンノが、落ち着いたように話し出す。
「でも、やりたくねぇ、仕事なんだよ」
 そして、また溜息。
「でも、誰かがやらなきゃあ、いけねぇ仕事で…… やっぱ、俺がやるしかないか」
 ゲンノがのそのそと動き出す。
「そうだよな。ここで俺がごねまくったって、姐(あね)さんは俺に折檻食らわして、自分でやっちまうもんなぁ。それ位だったら、折檻食らわねぇ方が良いよなぁ」
 ゲンノがゆっくり向こうを向く。
「でもなぁ、やりたくねぇ。折檻も厭だ。やりたくねぇ。でも折檻も厭だ」
 ぼそぼそ呟きながら、ゲンノが歩いていく。
 なんか見ていて痛々しいなぁ。
「あのさ」
「あ?」
 ゲンノが心底いやそうな顔をして振り返る。
「ぼくもいっしょにいこうか?」
 言った途端、ゲンノが両手を大きく振る。
「いい。一人で行くから良い」
 なんなんだでろう。
「だって、ひとりじゃあ、いやなことなんでしょう。だったら、ふたりのほうがいいよ」
「二人だって厭なことには変わりねぇよ」
 それはそうかも知れないけど……
「でも、ふたりのほうが、すこしはましかもしれないよ」
 一人で辛い事でも、二人いれば我慢出来る事もあるし。
 一人で厭な事でも……そりゃあ二人とも、厭な気分になっちゃうかも知れないけど、それでも一人で我慢するより良いと思う。
「どうせ二人で行くんなら、お前じゃあなくてモンドを選ぶ。今度の仕事はそう言う仕事だ」
 む。ぼくはふて腐れてしまう。
 そりゃあモンドの方が年上だし、ずーと魔導師だったし、ぼくより頭は良いかも知れないけどさ。
「ぼくのほうが、ゲンノのこと、すきだもん」
「だぁかぁらぁ」
 ゲンノが頭をかいている。
「どうしてそう言う言葉が出てくるんだ。この状態で?」
「だって、モンドより、ぼくのほうがいっぱい、ゲンノのことすきだもん。だからゲンノのいやなこと、しりたい。いっしょにしたい」
 ぼくは真剣な顔。連れて行かなければ、ゲンノを張り倒す。っていう顔でゲンノを見つめる。
「そう言う意味で、モンドを連れて行くって言ってるんじゃあないんだが……」
 ゲンノが疲れた顔でぼくを見る。
 ぼくはゲンノを睨み付ける。
「判った、判った。連れてくよ。連れて行けばいいんだろう」
 ゲンノが両手を上げて降参のポーズ。
ヤッタァ!


 ここは一体何処だろう?
 砂、砂、砂、砂。
 吹く風は熱く、照りつける太陽も熱い。
 生きとし生ける物が何もない……死んだ大地。
「魔導師本部に直接行く訳には行かないし、だからって誰かに見られるのも困るし。しばらく歩くぞ」
 ゲンノが先に立って歩き出す。けど、凄く歩き辛そう。
 出掛けに頭っから布を被れって言われたけど、こういう理由なんだ。
 立っているだけで、汗が流れ落ちる筈なんだけど、余りに暑くて、汗は出るそばから乾いてしまう。
 そう言う意味では、快適って言えば快適だけど。
 一歩踏み出すたびに砂に足を取られ、歩き辛いったらありゃあしない。
 熱い風が頬を撫でる。熱い太陽が容赦なく照りつける。
 ゲンノは黙って歩いていく。
 怒っている訳じゃあなくて、歩くのに体力を使って、喋る体力が残っていないから。
 ゲンノは小さい。ぼくの胸くらいまでしかない。
 まぁ、ぼくが大きすぎるって言うのもあるんだけど。
 砂混じりの風が、ぼく達に絡みつく。
 ぼくの青い髪、砂のせいで黄色くなりそう。
 ぼくは青い髪に青い瞳。何処にでもいる男の子。
 まあ、十七歳になって、自分の事、男の子って言うのも変だけど。
 ただ、体付きは、普通の男の人よりは、筋肉が発達しているし、なにより背が高い。
 人混みに紛れても頭一つ出てしまうぐらい。
 人混みの中に、埋没してしまったのは、この前のドラゴンオーブ奪回というのか、ドラゴンオーブ騒ぎというのか、まぁ、なんというのか、あのお祭りの時ぐらい。
 ぼくの事、変わっているという人も多い。
 あの悪名高い呪術師と一緒にいるなんて無謀だって、はっきり言う人もいる。
 確かに悪名高いかも知れないけど、それはみんなが呪術師が、どう言う人かしらないせいで。
 少なくても、ぼくが知っているゲンノも、傍若無人のアルファウェイも、普通の人より、ずっといい人だと思うけどなぁ。
 少なくても、行き倒れているぼくを拾ってくれたのは、悪名なんか無い、親切でいい人である普通の人じゃあゃなくて、悪名高い呪術師のゲンノだった。
 ゲンノが立ち止まって、真っ直ぐ正面を眺める。
 すぐ後ろを歩いていたぼくも立ち止まって、ゲンノと同じ方向を見る。
「方向は間違っていないようだな」
 ……もしかしてゲンノ、自信がなかったの?
 人は多分、こう言うところを指して、無謀と言うんだろう。
 そしてゲンノが又歩き出す。
 ぼくも、一応突っ込みは胸にしまって、その後を歩いていく。
 ……
 乾いた風に混じって、湿った風が流れてくる。
 こんな乾いた大地で湿った風?
 一体、どこにいくつもりなんだろう?


 それは突然現れた。砂の真ん中、大きな町。湿った風は町の中からしてきた。
 なんで湿った風が町の中から……
 ぼくが考えている間、ゲンノはずんずんと町に近づき、それに連れて町はどんどん大きくなり。
 石造りの大きな塀。乗り越えるのは、多分、一苦労だよねぇ。絶対にハシゴが必要だし。
 見上げるほど高い石の塀に囲まれた町。
 ゲンノは石の塀に沿って歩き、入り口を見付けるとそこに向かって歩いていく。
 入り口のそばには、色々な店が出ている。瓜売り、野菜売り、そして水売り。
 水売り……
 話には聞いていたけど、本当にいるんだ、水売り。
 水瓶一杯、銅貨十枚……
 凄く高い……
 ぼくが、水売りの店の中を除いている間に、ゲンノはとっとと、入町手続きを取っている。
 ふぇぇぇ、通行料一人、銅貨百枚。
 ゲンノは黙って払っているけど、暴利だと思う。
 町の中に入った途端、なんというのか気温が下がったような気がする。
 太陽は変わらないのに、風が変わった。乾いて熱い風だったのに、町の中、涼しくて湿った風が吹いている。
 乾いた石造りの家々の間、湿った心地よい風が吹き抜けていく。
「今、歩いてきたところを、砂漠っていうんだけどな」
 ゲンノが切り出す。町に入って、ゲンノも喋る余裕が出来たみたい。
「砂の大地では水は貴重品なんだ」
 それは判る。何せ一瓶銅貨十枚。
「水がなければ人は生きて生けない。乾いた大地で生きていく人々にも、水は必要だ」
 それは判る。人は水がなければ死んでしまうもん。
「この町には水があるの?」
「ああ」
 ……
 なんでだろう、ゲンノは吐き捨てるように言って、又黙ってしまう。
 なんだろうなぁ。
 歩いていくと大きな声がする。
 喧嘩をしているとかじゃあなくて、なんかお祭りの時みたいな。
 どんどんと、声の方に歩いていくと……
 お祭り?
 綺麗な輿に男の人と、女の人が乗っている。
 その輿に向かって、みんなが花を投げている。
 色とりどりの花が舞っている。
「ご結婚おめでとうございます」
「ご結婚おめでとうございます」
 結婚式なんだぁ。それも多分、立派な、みんなに喜ばれているから、地位の高い、それでいて人に好かれている人の結婚式。
「ここの王子……まあ、領主の息子の結婚式だな」
 立ち止まったゲンノが、輿を眺めて説明してくれるけど……
 どうしてそんなに、苦々しい顔をしているの?


 輿を見送った後、人が切れた大通りを横切り、ゲンノはてくてくと歩いていく。
 結婚式のお祝いなのか、町行く人はみんな笑っている。
 どんなお店からも、笑い声が弾けている。
 そんな喧噪を後ろに聞きながら、ゲンノは更に歩いていくから、ぼくもその後をついて歩いていく。
 突然、町が終わる。
 町が終わった訳じゃあない。町が終わったんなら、塀があるはず。
 でも、町が終わったとしか考えられなかった。
 だって、石造りの建物が突然消えて、目の前に広がったのは、緑の畑だったんだから。
「あっちこっち歩いている奴がいるだろう」
 前に立っているゲンノがぼくに言う。
 確かに、畑の中に歩いている人がいるけど……
 輿に剣を差して、見回っている。
 この畑って、魔物か何か出るのかな?
「許可を得た農民以外の者が入らないように、見張っている見張りだ」
 見張り付きの畑? 何それ?
「遠くに光っているの、見えるか?」
「ひかっているの?」
 ゲンノに指さされ、目を細めてみれば。
「もしかして、みずうみ?」
「大当たり」
 わーい、当たった当たった。
「あの湖のお陰で、ここククリは、砂漠の町とは思えないほど繁栄している」
「ククリ?」
 ぼくは聞き返す。
「ククリって、あのでんせつの? うたになっている? しあわせのみやこ?」
「まあ、そうだな」
 そうか、ここがククリなのかぁ。
 本当にあるとは思っていなかった。
 誰もが幸せになれる緑の大地。桃源郷。そんなものがあるとは思わなかった。
 歌だけのお話かと思っていた。
「勿論、幸せの都って言うのは大嘘だけどな」
 ゲンノが口の端で笑う。
「砂漠の真ん中で、大きな湖を抱え、水の恩恵と豊かな実りを受けている。でも、砂漠の真ん中だ。豊かな恩恵ったってたかが知れている。エードなんかと比べられないほどだ。
 それでも、それだけで、砂漠の民には幸せの都。それが歌になっただけだ。普通の町だよ、ここは」
 口の端で笑ったまま、ゲンノが説明してくれる。
「でも、だれだって、しあわせになれるんでしょう?」
「誰だって幸せになったら、誰も幸せじゃあなくなるんだよ」
 ?
 誰だって幸せになったら、誰も幸せじゃあなくなる?
 どういう意味だろう……
「ヒコザは、今、幸せか?」
「もちろん」
「どうして幸せなんだ?」
「だって、まいにち、おいしいもの、たべて、ししょうにけんをならって、ゲンノがそばにいて、びょうきもしないし」
 これは幸せ以外の何物でもないと思う。
 だって、おいしい物が食べられない人だって沢山いるし、病気になっている人だって沢山いるし。
 剣士になりたいって思っても、師匠のように優れたお師匠様が見つかるなんて、凄い偶然だと思うし。
「幸せって言うのは、どうしても相対性で考えちまうんだよ。もっと悪い事がある。その悪い事に関わらないから幸せだ。不幸な奴がいないと、自分の幸せなんて判らねぇんだよ」
 良く判らない……
「例えば、誰も病気もせずに、元気で暮らしている村があるな」
「うん」
「これは幸せな村だろう?」
「うん」
 病気がない村って幸せだよね。
「でも、住んでる奴にはそれが判らない。病気がないんだから、病気が不幸だって知らないんだ」
 ええと
「そいつらが病気にならない事が幸せって判るのは、村の誰かが病気になった時なんだ」
 うーんと……
「じゃあ、だれかがふこうにならないと、じぶんがしあわせだってわからないの」
「別に誰かが不幸にならなくても、自分が不幸になっても良いんだけどな。不幸を知らなきゃあ、幸せも判らない」
 ゲンノの話は難しいけど、なんとなく判る。
 不幸が判らなければ幸せは判らない。
 誰かが不幸だから自分が幸せだって判る。
「だから、誰もが幸せになれる桃源郷なんて、この世には何処にも存在しないんだよ」
 ……良く判らない。
「水がほとんど無い砂漠の大地では、水や農作物は貴重品。だから高い壁を巡らし、水を守っている。農作物を守っている。誰かに盗られないように」
 そっか、あの塀って、守る為の塀なのか。
 凄く高くて頑丈な塀。守る為の塀。
 高い塀に囲まれて、その中にある幸せの都。
「でも、でも、しあわせのみやこなんでしょう……」
 外の世界に比べれば、中に住んでいる人はみんな幸せな。外の人には失礼かも知れないけれど、幸せの都。
「次、行くぞ」
 ぼくの質問に答えずに、ゲンノは振り返って歩き出す。
 もう。


 町に戻り、結婚式の興奮冷めやらぬ華やかな大通りを歩いていく。
 一介の旅人に過ぎないぼく達にも、町の人は笑って声を掛けてくれる。
「どこにいくんだい、綺麗なお兄ちゃん」
 うーん、ぼくにも判らない。
「一緒に踊っていかないかい?」
 うーん、ぼくに聞かないで、ゲンノに聞いて貰いたい。
 ゲンノは、にこにこと笑い、町の人々の優しい申し出を、小さく会釈する事でかわす。
 そして細い路地があると、ゲンノはその路地に入っていき、そして、又、出て来るを何度か繰り返す。
 ゲンノも道を判っていないみたい。
 何度かそんな事を繰り返しているうちに日が落ちていく。
 風がどんどん冷たくなっていく。
「砂漠は気温差が激しいんだ。日中は人が立っていられないほど熱くなり、夜は人が凍え死ぬほど寒くなる」
 うわあああ、本当に究極状態。
「ククリはそれほどひどくはないが、それでも一気に気温が下がる。砂漠はもっとひどい」
 それで、長袖のいつもの恰好で来たんだ。
 なんであんなに熱いのに、長袖なんだろうって思っていた。
 もう少し寒くなったら、長袖が丁度良い。
 そして、何度も路地に入りを繰り返しているうちに、日はとっぷりと暮れ、どう見ても、どう考えても、間違ったとしか思えない路地に入ってしまう。
 貧困街。貧しい人々が生きていく場所。
 エードにもあった。ククリにもある。どんな町にでもある貧困街。
 でも……ぼくはククリには貧困街、無いと思ってた。だって幸せの都だから。
 道の端に座り込んでいるやる気のない人々。にやにや笑いながら、目つきの悪い顔でぼく達を見送る人々。
 どんな町でも、こんな場所があるんだ。
 今にも崩れそうな建物。それでも、崩れそうな石の建物に暮らせる人はまだいいかも知れない。石造りの家の前に立てられた掘っ立て小屋。
 ぼくは知っている。その掘っ立て小屋にも人が住んでいる事を。
 幾つもの掘っ立て小屋。バラックって言うんだと、ゲンノに教わった事がある。
 物がすいたような匂い。汚物の匂い。人の匂い。そんなものがここを包んでいる。
 露骨な興味本位の視線、下世話な笑い声、大きなぼく達をからかう声を聞きながら、ゲンノは全く、そんなもの聞こえないかのように歩いていく。
 ゲンノが選んだ店は、それでも灯りがついている、 ぼくも慌ててその後を追う。
 う。
 むっとするほど臭ってくるのは、安物の化粧品の匂い。安物の油の匂い。
 ぼくって本当に幸せだなあって思う。
 だって、ゲンノ拾われる前は、この匂いが当たり前だって思っていた。
 ゲンノに拾われてから、これが安物だって判るようになった。
 それだけ、今、幸せ。
 そっか、ゲンノが言っていた不幸を知らなければ幸せが判らないって、こういう意味なんだ。
「何だい、何だい、うちで働きたいんかい?」
 下卑た女の声に、ぼくは慌てて、店の中を見回す。
「いいや」
 ゲンノが答えている。
「そうだろうねぇ」
 下卑だ女が下品に笑う。
「あんたならこんな店で働く無くても、もっと良い店で働けるよ。何せうちは、ちょんの間、銅貨二枚だからね」
 ちょんの間、銅貨二枚?
 どういう意味だろう。
 それより、なんでこの女の人は、こんなに厚化粧をしているんだろう。
 安物の服で飾り立てているんだろう。
 そんな事しなくても、結構綺麗みたいなのに。
「マイム、いるかい?」
 ゲンノが聞いた途端、女の人は
「残念だねぇ、マイムは今夜貸し切りだよ」
 けらけらと笑う。下品なぐらい。
 その下品な笑いが止まったのは
「俺がその貸し切りの客だ」
 と、ゲンノが言った時だった。
 凄い厚化粧だから、女の人の顔色は判らない。でも、多分、変わっていたと思う。
 それ位唐突に、笑いは止まった。
「話に聞いていたのと随分違うね」
 それでも、女の人はそう言った。
「代替わりしたんだよ」
 ゲンノが肩を竦めてみせる。
「何なら証拠を見せようか?」
「いいよ、いいよ。止めておくれ」
 女の人も肩を竦める。
「聞いた話からすると、あんたを怒らせると大変な事が起きるからね。マイムなら一番隅の部屋だよ」
 女の人が、部屋の奥に顔を向ける。
「そうか。じゃあ貸し切り賃だ」
 ゲンノが銀貨一枚を放り投げ、女の人は……凄く厭そうにそれを受け取った。
 そしてゲンノは、どんどんと部屋の奥へと歩いていく。
 ぼくを置いていかないで。
「ねぇ、ゲンノ。ここはなにやさん?」
「娼宅」
 ええと……
 薄暗い廊下を歩いていく。いわれてみれば閉まったドアのあちこちから、そう言う声が聞こえてくる。
「ゲンノ、おんなのこかったの?」
 喋っているうちに一番奥の部屋につく。
「残念、お兄さんだ」
 ゲンノが笑いながら、ドアを開ける。
「はーい、いらっしゃーい。お待ちしておりましたぁー」
 何か明るい声がして、ぼく達は迎え入れられたけど、何か中にいた、……ゲンノの話からするとお兄さんは、そのまま凍り付いている。
「悪い、親父が十五年前に死んで、代替わりしたんだ」
 凍り付いている、多分お兄さんに、ゲンノが声を掛ける。
「そ、そう」
 うわぁ、凄い疑っている。無茶苦茶疑っている。何が何でも疑っている。
「ヒコザ、ドアを閉めろ」
 あ、そうか。
 ぼくはドアを閉める。
 とっても狭い部屋。あるのはベッドと、小さなテーブルと、椅子二つ。入り口のドアと、反対側にもう一つドアがある。庭にでも出られるのかな。
 それもかなり年代物。薄暗いからすぐには判らないけど、かなりぼろい。
「何なら証拠を見せようか」
「良いわ、今日、この晩、ここにいるっていうことは、本物って言う証拠だから」
 多分お兄さんが、肩を竦める。
「そちらは見習いさん?」
 ぼくの事、かな?
「単なるオブサーバー」
 オブサーバー、部外者。そりゃあ勝手についてきたけど。
 ぼくは多分お兄さんを眺める。
 真っ赤な髪に、下品なまでに塗りたくった厚化粧。凄く安物の派手だけが取り柄のような服。
 着崩した派手な服から出ている細い手足に細い身体。
 ゲンノのように華奢なのとは違う。とっても不健康な痩せ方。
「オブサーバーね。私に興味があってきたんだ」
 皮肉を含んだ、下卑た笑い。
「いや、こいつは何にも知らなくてついてきたんだ」
「何も知らなくて?」
「俺が契約更新手続きが厭だっていったらね。勝手について来た」
「ふーん。契約内容は?」
 多分お兄さんがぼくを見る。
「知らない」
 ぼくの代わりにゲンノが答える。
「そうなんだ、じゃあ教えて上げようか?」
 何か厭な笑い。
 ぼくがゲンノを見ると、ゲンノは黙って椅子に座ってしまう。
 うーん、これはぼくに話を聞けって言う意味だよね。
 ぼくも黙って、椅子に座る。
 うわぁ、がたがたする。ぼくは慌ててテーブルに手をつくけど、テーブルもがたがたする。
「二百年前ね」
 そんなぼくを鼻で笑った、多分お兄さんが話し出した。
「ククリは今とあんまり変わらなかった。裕福と貧困と。一つの壁の中に抱え込んでいたわ。この家も二百年前から娼宅だった。今と同じように、安いお金で女の子の身体を売っていたの」
 何とか、体勢を整えたぼくの耳に、多分お兄さんの話が流れてくる。
「ここで働かされた女の子は、貧困の余り、親に売られた子ばかりだった。自分の好きで身体を売っている女の子は良いわ。自分の好きな時に身体を売って、好きな時に止められる。
 でも、ここにいた子は違った。
 この部屋にいた女の子はね。八歳で親に売られて、すぐに客を取らされたの」
 八歳?
 ぼくは慌ててゲンノを見る。
「そう言うのが好きな奴もいるんだよ」
 ゲンノが吐き捨てている。
「泣いても叫んでも、働かされたわ。逃げだそうとすれば折檻を受けた。大人しくしていれば、それ幸いと、一晩で何人ものお客の相手をさせられた。
 乱暴なお客のせいで、傷を受けた時だって、少しでも良くなれば、すぐにお客の相手をさせられた。
 女の子はね、もう、夢も希望も失ったの。あるのは恨みだけ、憎しみだけ」
 お兄さんは遠くを見る。
「この部屋から出る事も許されず、ただ、お客の相手をするだけ。季節が変わったのも知らない。どんなものが、流行っているかも知らない。ただ、お客の相手をさせられて、時間だけが流れた。夢と希望を失い、憎しみと恨みを育てながら」
 お兄さんが首を振る。
「ある日、一人のお客が来たの。誰も信じない、みんな憎んでいる女の子のところにね。そのお客は何故か女の子を気に入り、銀貨一枚で女の子を買い取った」
 銀貨一枚?
「それっきり、町も人も女の子の事なんか忘れたわ。綺麗さっぱり。思い出したのは、それから五十年も経ってから」
 お兄さんが小さく笑う。
「湖の水が枯れ出したの」
「おんなのこの、のろい?」
「違うわよ、自然現象。っていうより、そんなに長い間、水があった方が奇跡だったの」
 ぼくの質問に、多分お兄さんが手を振りながら答える。
「奇跡だったの。でも、みんなその奇跡になれていた。奇跡が無くなる日が来るなんて、思ってもいなかった。
 だから奇跡が尽きかけてきた時、その奇跡を続けさせる為に、呪術師と契約を結ぶ事にしたの」
 契約……
「呪術師の元に使者が行ったわ。そして呪術師が現れた。とても美しい綺麗な呪術師」
 ええと、どの人だろう。呪術師はみんな綺麗らしいから。
「淫乱魔神シュラディール」
 ゲンノが呟く。
「そう、その二つ名のせいで、男好きの呪術師だってみんなが信じてた。だから簡単に契約が結べるって思っていた」
 お兄さんが笑う。
「だって、凄い美人で、ナイスボディーなんだもの。土下座して、頼み込んでもお相手したいって言うほど素敵な人なのよ。お相手したい人なんか、星の数より多いわよ。男なんて幾らでも調達出来るって信じていた」
 お兄さんの言葉にゲンノが大きく何度も頷く。
 凄い美人みたい。シュラディールって。
「それにもし、お金が欲しいって言っても、幾らでも出せるつもりでいた。何せここいらでは一番裕福な町だったから」
 お兄さんが溜息をつく。
「でも、シュラディールが望んだのは、王子の身柄だった。それも十八年に一人。それでも良いって、王も王子も思ったわ。何せとびっきりの美人でナイスボディーのお相手なんて、望んでも出来る事じゃあなかったから。
でも、そうじゃあなかったの。奇跡を続けて欲しかったら、十八年間、ここで、この場所で、一番安い値段で男に身体を弄ばれろ」
 え? じゃあ……
「王は悩んだわ。でも……一度、覚えた裕福な暮らしを捨てる事なんて出来なかった。だから」
 お兄さんは笑いながら片目をつぶる。
「女の子はね、恨みも憎しみも忘れていなかったの。忘れられるものじゃあないわよねぇ。私もそう思うもの」
 え、だって。
 ぼくはゲンノとお兄さんを交互に見る。
「シュラディールだったんだよ。女の子は。育ってシュラディールになったんだ」
 そんなのって……
「で、この町には来たくもねぇって、親父が代理で契約更新手続きをしに来てた訳」
 ゲンノが吐き捨てる。
「それでどうするんだい?契約の方」
「更新でしょう、やっぱり」
 凄くあっさり、本当にあっさりお兄さんが言う。
「もうすぐ新しいマイムがやってくるわ。そしたら私はお役御免」
 お兄さんはにこにこ笑う。
「これからどうしようかしら。どうのこうの言っても、お金も貯まったし、小商いでも始めようかしら。それとも今、王様になっている弟の処に行って、一生養って貰おうかしら」
 お兄さんはにこにこ笑っている。
 でも……
 何か変だ。何か違う。何か間違っている。
 ノックの音。ぼくは入り口ではないドアを見る。
 ゲンノが立ち上がり、ぼくを立ち上がらせる。
「なに?」
「入れ替えだ」
 ゲンノが言いながら、入り口のドアを開けて外に出る。ぼくも廊下に出て、ゲンノを眺める。
 ゲンノは廊下の壁により掛かっている。
「なんか、ちがう」
 ぼくが呟く。
「ゲンノ、どうにか出来ないの?」
「出来ない」
 あ、凄くあっさり。
「忘れるな。俺自体が契約結んでいるんだぞ。そんな身で、どうして他と契約が結べる」
 あっ。そうだった。ゲンノ自体がエードの町を守る為に、精霊と契約を結んでいるんだっけ。
「万に一つ出来るとしてもだ。そうしたからって、姐(あね)さんの気持ちが収まる訳じゃあなかろうが」
「でも、でも……」
 こうやってずっと憎んでいたら、いつまで経っても、収まらないと思う。
「この町が滅んでしまえば、又、話は違ったかも知れねぇけどな」
 壁により掛かったまま、ゲンノは天井を見上げる。
 安物の油を照明に使っているせいで、すすけた天井。
「もうすぐ奇跡は尽き果てる。もうすぐ勝手に滅んでしまう。そう思って、その日が来るのを心待ちにしていたのに、奇跡を続けてくれって頼まれた姐(あね)さんは、どう思ったんだろうなぁ」
 ……
「出来ないって。そんな事出来ないって突っぱねる事だって出来たのに。なんで受けたんだろうなぁ」
「他の呪術師は?」
 やりたくないんなら他の呪術師に仕事を廻せばいいのに。契約更新をゲンノに押しつけたように。
「あの当時いた呪術師は、師匠に姐(あね)さんに兄貴に親父。まず親父は力不足。兄貴はこんな身勝手な事は嫌いだから、言下に却下。師匠はカルシノマに幽閉中」
 ゲンノは指折り数えていく。ぼくと顔を合わせない。
「だって、ほかにも……」
「その後産まれた呪術師は二人。俺と兄(あに)さんだ。俺はエードの為に契約を結んでしまったから、他の町の為に契約は結べない。兄(あに)さんは姐(あね)さん至上主義だから、姐(あね)さんを苦しめた町から、湖を守ってくれなんていう願いをされた日にゃあ、湖を固い万年氷に覆われた湖に変えるか、塩の湖(ソルトレイク)に変えるか。そんなところが関の山だろう。問答無用で兄(あに)さんが、この町を滅ぼさないのは、姐(あね)さんが契約を結んでいるからなんだ」
 いつの間にかゲンノは下を向いている。
「でも、なにかほうほう、ないの? なんかちがう、まちがってるとおもう、ぼく」
「奇跡を続けたいって言うのが、間違った望みなんだよ。その望みを叶える為には、どこか間違った場所が出来る。仕方ないんだ」
 仕方ない? 仕方ないの? どうにかならないの?
「お待たせしました」
 ドアが開く。
 さっきと違う、普通のお兄さんが、そっとドアを開ける。
 壁により掛かっていたゲンノは、身体を起こすと部屋の中に滑り込む。
 ぼくも同じように部屋に入って、後ろ手にドアを閉める。
 部屋の中にいたのは、綺麗なお兄さんだけだった。
 綺麗なお兄さん。結婚式していたお兄さんに似ているけど、ちょっと違う。
 綺麗なお兄さんは黙って、ベットに腰掛け、前に立っているゲンノを見上げている。
「もう一度聞くぞ。本当に契約を更新するか?」
「そのつもりが無くて、どうしてここに参りましょう。弟の花嫁の初夜を奪っておいて」
 お兄さんが首を傾げて、ゲンノに聞き返す。
「これは百五十年前から続いている事。薬で眠らせた花嫁と交わり、子を成した後、ここに来る事は。私は王の子であると同時に不義の子です。契約を継続する為だけに作られた子供です。ですから」
 お兄さんはきっぱり言い切り、ゲンノは小さく首を横に振る。
 何かを追い出すように。
 そして短く呪言を唱える。
 お兄さんの髪が赤く変わり、さっきの多分お兄さんに良く似たお兄さんが出来上がる。
 これから十八年の間、このお兄さんは、この部屋から一歩も出ることなく、一番安い値段で男の人に売られる。
 来る日も来る日も、何人もの男の人に。
 そうやって、ククリを守ってきた。何人もの王子様が。誰に知られる事もなく。
 そう言えば
「さっきのおにいさんは?」
 この狭い部屋の中、隠れる場所もないのに、さっきのお兄さんはいない。
 外で待っているとしても、あんな薄物姿。寒いだろうに。
「伯父は…… いえ、父は行きました」
 新しいお兄さんが、ドアを見つめる。
 行きました? 何処へ?こんな夜中に?
「契約は更新した。契約破棄したくなったら、いつでも喚いてくれ。その時はすぐに来る」
 ゲンノがそう言っても…… 新しいお兄さんは笑うばかりだった。
 ゲンノが、もう一つのドアを開ける。
 こっちから帰るみたい。
 ぼくも黙ってそれに続く。
 中庭に続いているドア。何もない、手入れ一つしていない、壁に囲まれたまばらな草が生えた空間。
 ゲンノはそこを歩き、壁のドアに近づくと、そこを開ける。
 何故だろう。そこには砂漠が広がっていた。
 確か、外から守る為に、高い塀があって。だからこんなに簡単に、砂漠に出られちゃあいけないはずで。
「今夜一夜の魔法。親父が残した魔法なんだ。何事にも、何者にも遮られなく、砂漠に出られるように。今宵一夜だけの為の魔法」
 砂漠に出たゲンノが遠くを見つめる。
 何者にも遮られる事が無く、砂漠に出る為の魔法?
 父は行きました……
「ゲンノ! だって、だって」
 こんなに風が冷たいのに。あんな薄物一つで。そんな事……
「あいつが言っていただろう。夢も希望も全て無くしたって」
 ゲンノが砂漠の遠くを見る。
 でも、それは女の子の話で…… 女の子の話じゃあないの?
 でも、でも。
「ちがう…… ちがうよ…… ゲンノ…… なにかまちがってる…… ぜったい、なにかまちがってる!」
 ぼくは、そんな事しか叫べなかった。
「だから俺はこの仕事を厭だっていたんだよ」
 ゲンノが吐き捨てた。

 





 輝く水面に映りし
 緑なす大地
 青き水面に映りし
 黄金の実り
 奇跡の都と人は呼ぶ
 枯れ地の中の 理想郷
 荒れ地の中の 桃源郷
 幾重もの砂塵の向こうにあると言う
 幾重もの砂山の向こうにあるという
 約束の地 ククリ
 幻の地 ククリ




言い訳
 まずは、字が小さくて潰れていたらご免なさい。代表さんが悪い訳じゃあなくて、全て青梅が悪いんです。
 フォントの変更は、何せ十枚以内に納めたかったからです。
 この字の大きさで丸文字を使うと、確実に時が潰れて読めません。今でも読めませんけれど。
 ええと、これは…… 伏線みたいなものだと思って頂けると幸いです。何の伏線かは内緒。
 「どらごんおーぶ」の後の話になりますので、あれとは全く関係ありません。ご了承下さい。