せれんでぃぷてぃ
さよならの向こう側
「ふぇぇぇぇ」
建物を見上げたヒコザが情けない声を上げる。
「本当に本当に、このお屋敷をゲンノにくれるの? 家賃も無しに?」
振り返ったヒコザが尋ね
「家賃を取ったら賃貸だろう?」
ヒョウブがシビアに返事をし、もう一度振り返ると、ヒコザは屋敷を見上げる。
「石造りの二階建て。テラスもある。庭も広い…… 本当に本当にただでゲンノにくれるの?」
又、振り返ってヒコザが確認をとる。
「差し上げると言っているんだ。それにヒコザにではなく、ゲンノ様に差し上げるんだ」
力を込めてヒョウブが答え
「俺はこんなにでかい家なんか必要ないんだけどなぁ」
ヒコザの横に立ったゲンノがため息混じりではき出す。
「ゲンノ様。そんな事をおっしゃらないで下さい。ゲンノ様はエードの守護精霊タラチネの養い子であり、呪術師なんですよ。呪術師。もっと立派な屋敷に住んでいらっしゃってもおかしくないんですよ」
「タラチネの養い子なのは、まぁ、認めるけどな。呪術師ってたって駆け出しも良い所だぞ。それなのに、こんな大きな屋敷なんて。分相応って言う言葉が有るだろう。一応」
「分相応ならば、もっと大きな屋敷でも良い位です」
力を込めてヒョウブが言い、反論しようとしたゲンノが、その勝ち誇った様なヒョウブの表情を見て言葉を飲み込む。
駄目だ。こんなに自信満々、と言うのか根本から誤解している奴に幾ら言い返しても平行線だ。
「あー。もういいわ。後でお前の親父に挨拶に行くわ」
反論するのも疲れ果てたとゲンノが玄関のドアに手をかける。
「ご案内いたします。ゲンノ様」
ヒョウブが一礼する。
「そのゲンノ様、やめてくれるか。お前と俺は同じ歳なんだからさ。もう、こうざっくばらんに付き合ってくれないか?」
「ゲンノ様はゲンノ様です」
「あー」
ゲンノは頭を抱えたかった。何が哀しくて様付けされなければならないんだ。俺は未だ、駆け出しの呪術師だぞ。まだまだ半人前だぞ。まだまだまだ二十歳だぞ。それなのに、なんで領主の一人息子に様付けされなきゃあならないんだ。
「それがお嫌でしたら、私を化け物退治に連れて行って下さい。そうすれば私もゲンノ様の仲間ですから、もっと砕けた会話をいたします」
きっぱりとヒョウブに言われ、ゲンノがため息をつく。
「別にヒョウブは来なくて良いよ。僕とゲンノだけで何とかなっているから」
ゲンノ、ヒョウブの後に続いたヒコザが答え、ヒョウブが振り返ってヒコザをにらみ上げる。
「何?」
にらみ上げられたヒコザがむっとした表情でヒョウブに尋ねる。
「ゲンノ様はエードのものだ。独り占めをするな」
「えー、ゲンノはゲンノだよ。そりゃあタラチネ様の養い子だけど、ゲンノはゲンノだよ」
そして二人はにらみ合う。
それを眺めて、又、ゲンノはため息をつく。
確かにタラチネの養い子だ。その上、お人好しのヒザーリの忘れ形見だ。それは重々承知している。だからといって、自分の実力以上の物を与えられて、喜ぶほど馬鹿ではない。
一体、いつになったら、この屋敷に見合うほどの実力をつける事が出来るのか。予測もつかなかった。
「案内してくれ、ヒョウブ」
にらみ合っている二人にゲンノが声をかけ
「はい」
今までのにらみ合いはなんだったのかという素直さで、ヒョウブがゲンノの先に立つ。
「こちらが応接室です。そしてこの奥がゲンノ様がおっしゃられていた診察室になります」
嬉々としてヒョウブがドアを開けて説明する。
「俺は待合室と診察室と、台所と寝室さえあればいいって言ったんだけどな。なんでこんなに部屋数が増えたんだ?」
「一階は後、ゲンノ様の寝室と、書斎とバスルーム。二階はゲストルームになっています」
ゲンノの突っ込みを完全に無視してヒョウブが説明していく。
「ゲストルームって…… そんなに客なんかいないぞ」
「では、お好きにお使い下さい」
ヒョウブに朗らかに答えられ、ゲンノは何度目かのため息をつく。なんでこんな大事になってしまったんだろう。自分はただ、養い親のいる、そして今は亡き父親の故郷に住みたいと言っただけだ。住みたいから、どこか良い物件があったら斡旋してくれと、確かに領主に頼んだ。それは認める。自分がした事だ。
しかし、だからといって、こんな立派な屋敷を造ってくれと頼んだ覚えは一切無い。
「ゲンノ…… こんなに大きな屋敷に住むの?」
心配そうにヒコザが尋ね
「……今更、厭だとは、言えないだろう?」
力なくゲンノが答えた。
領主への挨拶……あんな大きな屋敷はいらないという意見は見事に無視された……が終わったゲンノは応接室に設置されたソファーの上でだらけていた。
緑色の髪は前髪は眉の処で、後ろは肩で切りそろえられている。大きめな切れ長の緑色の瞳。真っ白な、指が吸い付くほどきめが細かい肌。桜色の頬。深紅の唇。化粧せずとも、このタム大陸で美少女コンテストが行われたら、ぶっちぎり一位確定とまで言われる美貌でゲンノは天井を見上げる。
もう諦めよう。この屋敷だって何とかなるだろう。一階にある部屋の一つを転送室にして、書斎に本を運んで。庭には主食の花を植えればいいだろう。タラチネの神殿まで距離はあるが、別に日参する必要はない。
「ゲンノ。僕、何処に寝たらいいの?」
屋敷の中を探検していたのか、姿が見えなかったヒコザがぺこんと応接室に顔を出す。
マリンブルーの瞳にマリンブルーの髪。十六、七の時はただひょろひょろと高いだけの身長も、二十歳となった今は筋肉質のがっちりとした体型に変わっている。子供の頃は可愛かった顔も、今は精悍なそれに変わっている。
「何処でも好きな処に寝ていいぞ。ここがいいんならここでも良い」
「応接室か…… それも良いかもしれない」
ゲンノの冗談に、真面目な顔でヒコザが答える。
「冗談ともかく、一階は転送室に図書室を作りたいんだ。どうしても蔵書が増えるからな。部屋割りが決まるまで二階のゲストルームで寝てくれ」
「うん、判った」
いいながらヒコザが応接室に入り、ゲンノの前の床に座り込む。
「ゲンノ、ここに住むの?」
「親父の故郷だからな。ヒコザは厭か?」
「厭じゃあないけど…… 化け物退治やっていたら留守がちになるよ。掃除とかどうするの?」
「一応、出掛ける時は汚れないように魔法をかけていくつもりだけどな」
答えながらゲンノが応接室の中を見回す。
「ヒコザは兄貴の家の方がいいか?」
「……そりゃあ二十歳だもん。いい加減独立した方がいいのは判っているけどさ」
ヒコザの語尾が弱くなる。
ヒコザの弱気も判らなくはない。自分だって同じ思いだ。今までは師匠や兄弟子、姉弟子にかばわれていた。後ろ盾があった。何でも相談出来た。
でも、こうやって独り立ちをすると、兄弟子、姉弟子は今までのように庇護してくれないだろう。
「転送室が出来れば兄貴の処と直通になる。それまで我慢してくれ」
ヒコザと自分に言い聞かせる為にゲンノが口に出す。
「うん」
ヒコザが頷いた時、ノッカーの音が響く。
「お客さん?」
「の、訳はないな。ヒョウブかウコンだろう」
「じゃあ僕が行ってくる」
ヒコザが立ち上がり、応接室から出て行こうとする。
「追い返すなよ」
「判ってる」
ヒコザの返事を聞きながらゲンノがため息をつく。
今日、何度目のため息だろう。今までは、師匠か兄弟子、姉弟子がいてくれた。庇護されているだけで済んでいた。確かに化け物退治をしていたが、それだって後ろ盾があったからだ。今日からは独り立ち。ヒコザと二人で全てをまかなわなければならない。
「ゲンノ」
「どうした?」
「お客さんだった」
「はぁ?」
ヒコザの報告にゲンノは間抜けな声を上げた。
応接室のソファに座り、恐縮しきっている客にゲンノがお茶を差し出す。
「どうもすいません」
客が頭を下げる。
「で、何の用だ?」
向かい側のソファーに腰を下ろしてゲンノが客に尋ねる。
「こちらは高名なヒザーリ様のお屋敷では無いのですか?」
客が応接室の中を見回して尋ね、ゲンノがため息をつく。
「残念だな。お人好しのヒザーリは十八年前に死んだ」
「ああああああ」
ゲンノの答えを聞いて客が頭を抱えて苦悩する。
「ヒザーリ様が亡くなったなんて…… そんなぁ……」
大げさに客が落胆し、ゲンノとヒコザが顔を見合わせる。
「な、なんで亡くなったんですかぁ……」
しばらく頭を抱えて落胆していた客が顔を上げてゲンノに尋ね
「そりゃあ四百年も生きていたんだからな。死因がなんであれ、天寿を全うしたって言ってもおかしくないと思うぞ」
あっさりゲンノに答えられる。
「まぁ、そう言われてしまえばそうですが。それにしても亡くなっていらっしゃるだなんて」
そして肩を落とすほど大きなため息をつく。
「そういう事で、わざわざここまで来て貰ったが、いない者はいないんだ」
「はぁ。で、あなたは一体、何者なんですか? ここはヒザーリ様のお屋敷だと伺って来たのですが」
客の質問にゲンノが頭を掻く。
「何処でどう話が変わっちまったのかな。俺はヒザーリの一人息子なんだけど」
「ヒザーリ様の一人息子?」
客が驚いたように腰を浮かせてゲンノを見る。
「だっだっだ…… ヒザーリ様は他の呪術師様と違って、それ相応にお年を召されて。その老人だったんですよ。それなのにあなたは、どう見ても十二、三歳……」
「悪いな、これでも二十歳。親父が死ぬ三年前に作った正真正銘ヒザーリの一人息子だ」
ゲンノがきっぱり言い切り、中腰の客はそのまま口をぱくぱくさせる。。
「ついでに言えば、親父と同じ呪術師だ。未だ駆け出しだけどな」
口をぱくぱくさせている客にゲンノが言い、客は大きく息をのむと、そのままソファーに座り込む。
「ヒザーリ様の一人息子…… 呪術師……」
ソファーに座り込んだ男が呟く。
「それでは、もしかして化け物退治なんか、なさっていらっしゃいます?」
それでも、何とか納得したのだろう。客が顔を上げる。
「まぁ、今、出来るのはそんな事ぐらいだから、やっているけど」
ゲンノが答えた途端、又客が立ち上がる。
「お願いします。どうか退治してあげて下さい」
「はぁ?」
「亀様を退治してあげて下さい。お願いします」
客に深々と頭を下げられたゲンノは、ヒコザの顔を見、ヒコザも大げさに肩をすくめて見せた。
「ねぇ、ゲンノ。遺跡って何?」
うっそうと茂る森の中の獣道を歩きながら、ヒコザが後ろのゲンノに尋ねる。
「歴史に残る、重要な事件や建造物があった跡」
ヒコザに先を行かせ、それなりに道が出来た所を歩きながら、ヒコザより疲れているゲンノが投げやりに答える。
ヒコザより疲れていると言って、ヒコザより荷物を持っているとか、魔法を使っている訳ではない。二人分の荷物はヒコザが背負っている。ゲンノは手ぶらだった。
それなのに何故ヒコザより疲れているか。単にゲンノには基礎体力がないせいだった。
「……良く判らない。重要な事件て何?」
「……ああと。まぁ、俺達が向かっているのは建造物の跡の方。魔法使い狩りが起こった時に壊されたリーク様の神殿跡だ」
「リーク様ってあれだよね。青い髪と青い瞳の人間を加護していた神様だよね」
「そう」
「神殿、壊されちゃったんだ」
「未だに神殿が無傷で残っている方が珍しいんだ。エードとかカルシノマとか」
「エードのエーク様の神殿て、タラチネ様の神殿になっちゃってるけどね」
「エーク様は元々放浪神だからな。カルシノマの神殿さえ残っていればそれで充分なんだろう」
「そっか。って、ついたみたいだよ」
ヒコザが言いながら横に避け、ゲンノの為に道をあける。
「確かに、亀がいそうな遺跡だな」
ゲンノの目の前に大きな沼が広がっている。そしてその沼の中央に、元は白亜だったのだろう。多分大理石で出来た大きな建物が、崩れ落ちたままになっている。
「そうだね。それでどうやって、あそこまで行くの?」
沼の真ん中の元建物を指さしてヒコザが尋ね、
「まぁ、駄目元で呼んでみるか、亀を」
ゲンノがそう言うと、一歩前に出て、手でメガホンを作ると
「亀! 退治しにやって来たぞ! 姿を現せ!」
大声で遺跡に向かって叫ぶ。
「本当に出てきてくれるかなぁ?」
「耳が遠いって言っていたからな。これで出てこなかったら、魔法で声を大きくす……」
そこまで言ったゲンノが何かに気づきヒコザを突き、ヒコザも遺跡の方を見る。
大きな黒い影がゆっくりと遺跡の中から現れ、そのまま沼の中へと沈む。
「もしかして、歩いてくるの?」
「いや。亀だから泳いでくるだろう、さすがに」
二人の会話が聞こえたのか、一度沈んだ大きな影は、ゆっくりと浮上すると、水面をこれも又ゆっくりと泳いで来る。
「ねぇ、ゲンノ」
「なんだ?」
「泳ぐのも大変そうだよ。退治するの辞めない?」
「引き受けちまったからなぁ」
ヒコザの言葉にゲンノが頭を掻く。
恐ろしくゆっくりながらも、実体は大きいせいでそこそこのスピードで亀は二人に近付くと、その首をぐいと伸ばして、二人を眺める。
「子供…… か。なめられたものだな」
「あんたから見れば誰だって子供だろうよ。四百年から生きてるんだし」
亀の言葉にすかさずゲンノが突っ込みを入れる。
「それもこんなお嬢ちゃんと二枚目と」
「誰がお嬢ちゃんだ、誰が」
「お嬢ちゃんだろう? それとも、もう小母ちゃん?」
「じゃあなくて、俺は男だって!」
「どの辺が男なんだ?」
「俺は男だって。証拠を見せてやろうか」
ゲンノが言いながら半ズボンに手を掛け、ヒコザが慌てて止める。
「駄目だよ、ゲンノ。こんな処で」
「止めるな、ヒコザ。見せてやる」
「で、二人は儂を退治に来たのか?」
二人のもみ合いを眺めていた亀が尋ね
「そうだった。俺達はお前さんを退治に来たんだ」
半ズボンに手を掛けたままゲンノが答える。
「どうやって? そっちの二枚目は剣士のようだが、お嬢ちゃんは歌歌いだろう。楽器を背負って。それとも魔導師か?」
「俺は呪術師。それにお嬢ちゃんじゃあないって」
「呪術師? このご時世に?」
亀が驚いたようにゲンノを見る。
「悪かったな。親父の跡を継いだんだよ」
「親父?」
「お人好しのヒザーリ」
「ヒザーリ殿の?」
驚いたように亀が聞き返し
「そう。一人息子だ」
ゲンノが胸を張る。
「ヒザーリ殿は他の呪術師と違い、老人になったはず。しかし、お嬢ちゃんはどう見ても最近生まれたんだろう?」
「齢四百歳で息子を作ったっていいだろうが」
「確かに止めはしないが…… そうかヒザーリ殿の一人娘か」
「だから、一人息子だって言っているだろうが! 俺は男だ!」
ゲンノが勢いよくズボンを降ろした。
「遺跡の中ってこうなっているんだぁ」
ヒコザが周りを見回して声を上げる。
結局、魔法で移動するというのを亀に止められ、その亀に乗って遺跡へと移動した二人だった。ヒコザとゲンノ二人乗っても、まだあり余る程甲羅が大きい亀ならではの移動法だろう。
「人が暮らすには適していないが、亀なら充分」
亀も遺跡を見上げる。
「それより亀……さん?」
ヒコザが困ったたように亀に声を掛け
「亀でいい」
亀が答える。
「亀さん。ゲンノのお父さんと知り合いなの?」
「坊やのお父さん…… ヒザーリ殿とは人間であった頃、お世話になった事がある」
結局、ズボンを降ろしたゲンノを見て、性別を確認した亀が、遺跡を興味深そうに眺めているゲンノを眺める。
「へー、それで親父に退治して貰いたいと」
ゲンノが気がついて振り返り
「どうせなら顔見知りに退治されたいからな」
亀が答える。多分笑っているのだろうが、亀の表情は判り辛かった。
「どういうお父さんだったの?」
「お父さんになってからは会っていないので、どういうお父さんだったかは知らないが、呪術師としては一流だったぞ。あのアイテム作りさえなかったら」
「あれは俺も困っている」
しみじみ言う亀の後にゲンノが続ける。
「あっちこっちに親父が作った欠陥アイテムが出回ちまって回収が大変なんだ」
「それはそれは」
さすがに亀は笑ったのだろう。声が笑っている。
「ねー、どういう呪術師だったの」
ヒコザが亀に尋ねる。
「二つ名通りの人だったな」
「じゃあお人好しだったの?」
「ものすごいお人好しだったぞ。儂にも化け物にだけはなるなと、何度も説得に来てくれた」
「説得されても亀になっちゃったの?」
「あのころはそれが一番良いと思ったからな。人としての時間は何十年。けれど亀の化け物になれば寿命が何百年になる。魔法を極められると思った。寿命が長い呪術師のヒザーリ殿には判らぬ悩みだと思っていた」
亀が遠くを見る。
「じゃあ亀さんは魔法を極めたの?」
「まさか。魔法はそんな簡単な物ではなかった。幾ら考えても終わりはない。その代わり亀は極めたぞ」
亀が真顔でヒコザに言い、ヒコザが考え込む。今のは冗談だろうか、それとも本気だろうか。
「亀になってからも、ヒザーリ殿は何度も訪ねてきてくれた。初めはどうしてそんな馬鹿な真似をしたのかと責められたが、その後は普通の友人と同じ扱いだった。それがヒザーリ殿だった」
「そう言う呪術師だったんだ」
「ヒザーリ殿は歌にもなっているだろう。スガイルーア様と旅をしたとか、その後の探索の旅とか」
「そうなの?」
亀に言われたヒコザがゲンノを見
「一応な。でも四百年前の歌だ。今歌われる事はない」
ゲンノが微笑んで答える。
「えー、歌ってよ。僕、知らない。歌ってよ」
ヒコザがゲンノにねだる。
「後でな。それより俺は亀様の話が聞きたい」
ゲンノが背負っていた胡弓を降ろすと中から弓を出し、その弓を振る。すると、その場所だけが乾き、ゲンノが座り込む。
「様と呼ばれる程の事はしていないがな」
「ねぇ、ゲンノ。魔法の話?」
「他の話をしても仕方がないだろう」
「じゃあ僕、遺跡見てくるね。歌を歌う時に教えて」
ヒコザがそれだけ言うと後ろを向く。
「良いのか?」
亀が驚いてゲンノに尋ね
「ヒコザは慣れているよ。俺と一緒にいるせいでな」
ゲンノが答えた。
ヒコザが二人の元に戻ってきたのは、話が済んだからではなくて、夜も暮れてきたせいだった。
戻ってみると、二人は間にランプを置き、淡い明かりの中で未だ話し続けている。
「あ、悪かったな」
ヒコザの気配に気がついてゲンノが顔を上げる。
「ん、別に良いよ。いつもの事だもん」
ヒコザが言いながらゲンノの横に座り
「魔法使いと付き合うのは大変だろう」
亀が多分笑う。
「そんな事無いよ。楽しいよ」
ヒコザが答え、亀がゲンノとヒコザを眺める。
「それにしても、なんで二人で組んでいるんだ? 剣士の坊やはハンサムだし、ゲンノは綺麗だし。いらん騒動に巻き込まれるだろう?」
「僕はヒコザ。十六歳の時に道に落ちていた僕を、ゲンノが拾ってくれて。それから一緒にいるの」
「道に……? 最近はそんなに物騒になっているのか?」
亀の質問にゲンノとヒコザが顔を見合わせ、苦笑いを浮かべ合う。
「それより、歌を歌ってくれると言っていたな」
「ああ、何かリクエストが有れば……」
「ゲンノのお父さんの歌」
ヒコザが片手を上げる。
「お前は……」
「儂も聞きたいぞ」
亀が多分笑いながら同意し、ゲンノが済まなそうに亀に頭を下げた後、胡弓を取り出し調律する。
「では」
そしてゲンノが胡弓を弾き出し、亀が頭を振りながらリズムをとる。座ったヒコザが足を上下させる。そしてゆっくりとゲンノが口を開く。ソプラノの声が、歌を紡いでいく。
魔法使いとして生きて行かなくても、充分、歌歌いで食べていける。いや、宮廷付きの歌歌いとなる事も出来ると言われるゲンノの声が、崩れ落ちた遺跡に響き渡る。
「見事なものだなぁ」
歌を聴きながらぽつりと亀が呟く。
「見事なものだなぁ」
亀の瞳に涙が浮かぶ。
「ヒザーリ殿の一人息子が。魔法の話をして。懐かしい歌まで歌ってくれ。化け物退治の剣士まで来てくれた。もう思い残す事はないなぁ」
涙を流しながら亀が続け、ヒコザが亀を眺める。
「もう、良い。もう充分だ。思い残す事はない」
涙を流しながら亀が大きく頷く。ヒコザが見つめる中、ゆっくりと亀の姿が薄れていく。
「嬉しいなぁ。本当に嬉しいなぁ」
涙を流しながら、大きく何度も頷きながら、そして亀は消えていった。
「そうですか。亀様は逝かれましたか」
ゲンノとヒコザに亀退治を頼んだ村人が、二人を涙を浮かべて迎える。
「良かった。本当に良かった」
村人が何度か頷く。しかし、良かったという言葉とは裏腹に苦渋に満ちた口調だった。
「幽霊でいなさるなんて、亀様にとっても辛い事。それに、いつもいつも退治されたいと言われていたのですから」
流れる涙をぬぐいながら、必死に村人が笑ってみせる。
「本当に亀さんが好きだったんだ」
そんな村人にヒコザが尋ね、村人が頷く。
「亀様は、生きていらっしゃる頃は、私達を守って下さいました。薬の作り方や病気の治し方を教えて下さったり、ちょっとした怪我を魔法を使って直して下さったり。本当に、本当に」
そして我慢しきれなくなったのだろう。村人が盛大に泣き始める。
「幽霊になってもいて欲しかったのに。それではいけないと。真面目な方でした、立派な方でした」
泣きながら村人が言う。
「どのように、どのように。退治なさったのですか。痛くはありませんでしたか。苦しくは」
村人の質問に、ゲンノとヒコザが顔を見合わせる。
「亀さんはゲンノの歌を聴いて、もう思い残す事はないって。そして一人で逝っちゃった」
「本当ですか。本当に苦しくなく、痛くもなく」
村人がヒコザに詰め寄る。
「本当だ。心配なら遺跡に行ってみればいい。戦った跡など無い」
答えたのは詰め寄られたヒコザではなくゲンノだった。
「そうですか」
ヒコザから離れ村人が一つため息をつく。
「どうか村に寄っていって下さい。何もおもてなしは出来ませんが…… あの…… もし良かったら、亀様が最後に聞いたという歌を……」
村人が二人に頼み、ゲンノとヒコザが顔を見合わせる。
そして、ゲンノが小さく頷き、三人が歩き出した。